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「江戸言葉の流れに身を委ねる心地よさ」 吉川潮

「江戸言葉の流れに身を委ねる心地よさ」 吉川潮

「江戸言葉の流れに身を委ねる心地よさ」 吉川潮

 いささか旧聞に属するが、昨年十月、古今亭志ん朝師匠が亡くなった折、新聞、週刊誌等に的はずれな追悼記事が目立った。曰く、「寄席の灯が消えた」、「古典落語の終焉」などで、まあ、これは名人と言われる落語家が死んだ時の常套句だから無視するとして、中でも私を怒らせたのは、「江戸言葉の継承者がいなくなった」という記述だった。

冗談言っちゃいけねえ。こいつぁ、伯龍を知らねえな。

私はいささか伝法な口調で独りごちたものだ。江戸言葉なら伯龍がいる。講釈好きなら誰でも知っている。一度でも伯龍を聴けば、完璧な江戸言葉をしゃべる芸人がいるということがわかったはずなのに。書いた奴はモノを知らない。

私は大学生時代に立川談志の『小猿七之助』を聴いて、そのオリジナルを聴いてみたくなって伯龍の会に出かけた。だから特別な講談ファンでないし、生粋の伯龍贔屓と比べたら横道から入った半端な贔屓である。それでも、伯龍の素晴らしさを認める気持ちは同じで、聴くたびに、楷書のような江戸言葉の美しさ、心地よさ、歯切れよさを堪能している。

つい最近、一龍斎貞水が人間国宝に選定された。それはそれで喜ばしいことだが、お上が担いでくれなくても、心ある講談ファンが神輿のように担ぐ伯龍こそ、講談界の宝だと思う。そういう意味で、この「伯龍世話講談」の会は意義のある会と言える。

本牧亭という講談の拠点がなくなって早十二年、私は哀惜の念を込めて、『本牧亭の鳶』(新潮社)という小説を書いた。その中で、主人公の一龍斎鷹山に講談の魅力をこう語らせている。

「目を閉じて講談を聴いていると、言葉の流れに身を委ねる心地よさとでもいうか、なんとも言えずいい気持ちになったんです。笑わせなくとも人をいい気分にさせる芸なんだと、改めて講談の魅力を認識しました」

伯龍の講談はまさにこの魅力なのである。

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